Monday, April 30, 2012

初めて人に話をする

ほとんど誰にも病気の事を自分から話す事はなかった。話す事に何の意義も見いだせなかったし、自分の心を乱したくなかった。バイオプシーをするんだと言いふらしたけど、ほとんどの人はその事を忘れていた。ただ2人、覚えていた人がわざわざ電話で聞いて来てくれた。彼女達には手術前後、本当にお世話になり感謝している。


日本に帰る前、私のSpiritual Mentor に会いに行った。
 極力冷静に経過を話す。多分彼女の前では泣かないだろうと思ったが、案の定泣かずにすんだ。

「あなたのようなタイプはそういう病気にはかかりにくいんだけど、どうしてだろうねえ。ちゃんとSubconcious に原因を聞いてみないとダメね」

「そんな先延ばししないで早く切ってしまいなさい。初期の乳がんなんてホントに対した事ないのよ。何か心配があればいつでも電話して来なさい」

彼女は78歳。頼りになる人生の先輩だ。

働いている学校の校長先生にも、今後仕事を休む事になるので話をした。

「私の友達も何人も乳がん手術やってピンピン元気にしてるわ。ステージゼロなんてホントにラッキーだったわね。学校の事は気にしないでいいから。音楽の授業は各担任にやらせておくわ。心配せずに早く手術してしっかり休みなさい。」

あ〜女は頼もしいなあ・・・。

8月に入り、右側のオッパイのバイオプシーをする。
結局特に問題がない事がわかり一安心。

左胸を全摘出して再建手術をすぐ受ける・・・。
漠然と再建手術の事はわかっていたが、実はその時は何にも知らなかった。

美容整形外科、Dr. DeWolfe との予約は8月13日。その日も夫について来てもらうことにする。


Mastectomy 全部摘出

7月13日(水)

夫と一緒に病院へ。

「詳しいレポートが届きました。あのね、あなたも知っている通りバイオプシーは2カ所にして、両方から同じような初期のがん細胞が見つかりました。その2カ所というのが結構離れている上、広い範囲に広がっているので両方部分的に取り除くという事は可能ですが、そうすると胸の形は相当壊れてしまいます。そうやって2カ所取った後放射線治療をするより、全部摘出(Mastectomy)する事を勧めます。その場合放射線治療の必要はありません。」

「全部摘出・・・」

この時点で夫はもうこらえきれず泣き出す。
お前が泣くなよ。泣きたいのはオレや〜!

温存出来ると思ってたので何とかその言葉をもう一度聞きたいが為に色々やり取りをしたけれど、私はこの医者を全面的に信用する事にした。彼女がそういうならそれが一番いい方法なのだと思う。

「ではそうしましょう。その場合、再建手術をすぐする事を勧めます。胸の再建の経験が豊富な美容整形外科医がいるので紹介しますからすぐ予約を取って下さい。」

「今より大きくする事も出来ますか?」
夫は何とか場を明るくしようとしてしょーもない質問を繰り返す。
もう帰ってくれと思う。

予定通り7月の後半は日本に帰った。私の癌はたいしたことなさそうなので、両親や日本の友人には一切話さない事に決めた。気兼ねなく人前で服が脱げるのもこれが最後なのかな〜と温泉ではちょっと感傷的な気分になる事もあったけど、極力淡々と過ごした。

その後姪っ子が初めて遊びに来て、楽しい10日間を過ごす。病気の事は考えないように努力した。

乳がん宣告

7月11日(火)その2

乳がんだと宣告されてからの、Dr. Leonardとの初めての会話。

MRIの結果はその専門家が良く見て、レポートが届く事になっているからもう少し待っててね。こういう難しい写真を読み解く専門家がいるんだから凄いよね。ただ今から現時点でわかっている事だけ伝えますね。残念な事に、あなたの左胸にはステージゼロといわれるごく初期の乳がんが見つかりました。」

「私のは本当に乳がんなんですか?それとも乳がんになりかかっている悪い細胞なんですか?」

「あなたのはステージゼロの乳がん(非浸潤がん)です。これに色々説明があるのでよく読んでおいて下さいね。」 

分厚いコピーの束を渡される。National Comprehensive Cancer Network から出されているBreast Cancer  Treatment Guidelines for Patients という本のコピーらしい。ああ、私は乳がん患者になるんだ、と実感。

「手術以外に方法はないんですか?」

「ほっておくと進行するので、早い時期に取り除く事を勧めます。」

「手術はどんな方法になるんでしょうか?」

「多分部分的に切り取って(Lumpectomy)、後は放射線療法で治療するという事になると思います。その場合一日入院が必要です。私が手術します。」

「今現在考えられる最悪のパターンって何ですか?」

「右側も乳がんになってると両方手術する事になります。多分可能性は低いけどね。またリンパにがん細胞が侵されている可能性も低いけどないとは言えないので、その場合キモセラピーをする事になります。あのね。ステージゼロの5年生存率は98%以上だよ。これで死ぬ事はないです。」

「ステージゼロでも手術しないといけないんですか?」(しつこい)

「そうです。手術以外にありません」 

MRIの結果を見て最終的な手術の説明の為、2日後に予約を取り帰宅。

夫は今だ州外に出張中。自分が癌になったと言う事実は自分でもショックだけど、人が聞いたらもっとショックだろうなあと思う。友人にも話す気になれない。犬を飼ってて良かった。犬が私を慰めてくれる。




MRI検査

7月11日(火)その1

MRI の日。
子宮筋腫でMRI を撮った事があるので、緊張もなく検査室へ。
ニコヤカに自己紹介する技師二人。
医療現場には不自然な微笑みが満ちあふれている。

うつぶせになって左腕にハリを通し、特殊な液を挿入するべくセットされる。
より良い解析が出来る為のもので、違う色で写し出されるらしい。

「ではリラックスして。1時間弱で終わります」

ギー・・・ガッチンガッチンガッチン・・・・
ギー・・・ガッチンガッチンガッチン・・・・
下を向いているので結構不自然な体勢、長びくのは嫌だなあと思う。

30分ほど経ってからか、途中で液が漏れているのに気づく。

私「あの〜・・液がちゃんと挿入されてませんけど・・・ 」

技師「エ!」

結局機械を止めて、同じハリを刺した所を使おうとするらしいのだが(私は動くなと言われてうつむいたままなので、何が行われているのかハッキリわからないし、全く説明もない)2人がかりで途切れ途切れに焦った会話が聞こえるのみ。段々不安になってくる。

「何をやってるのか教えて!」

「エッと・・・今ハリを刺し直そうとしていて・・・(モゴモゴ)」と何の事だかさっぱりわからんし、メチャメチャ不安がつのる。この素人同然の人たちに任せていていいのだろうか・・・。苛立った私は叫んだ。

「そんなに上手く行かないんだったら他の所に針刺して!」

結局彼らは右手に刺し直して、検査再開。15分以上こんなアホな事に時間がかかり、予定を大幅にオーバーしたせいで、その後に入れていた Dr. Leonard との予約の時間に全く間に合わなくなってしまった。

その日は Dr. Leonard から色々な説明があると言う事で1時間私の為に時間を割いてもらっていた。受付で遅れた理由を説明しても、ドクターは忙しいので今日はもう会えないと言われる。私はお宅のグループのヘナチョコ技師の為に時間が遅れたんだから私のせいじゃない、絶対会わせろと主張。粘っていると事務局長が出て来て、別室に通される。そこで今まで我慢して来た事が破裂。

「私はがん細胞が見つかったと電話で伝えられただけで、まだはっきりとした事が全然わからないんです。 どういう方法があるのか今日絶対会って話を聞きたいんです」

今まで人前ではもちろん、自分一人の時も極力淡々と過ごして来たのだが、この場に及んで大泣きに泣く。

「何とか時間を作るからちょっと待っててね」


Dr. Leonardが涼しい顔で私に伝えに来てくれた時も、私は一人でボロボロ泣いていた。

Saturday, April 28, 2012

検査結果の留守電を聞く


6月28日(火)

 バイオプシーの検査結果が医者から留守番電話に残っていた。

「とっても初期の、悪くなりかけている細胞が両方から見つかりました。なので手術して取り除く事になると思います。今の所多分温存できると思うので入院する必要もないと思いますが、また今度会った時に詳しく説明します。MRIを撮って詳しく見る必要があるのですぐ予約して下さい。」

 そっか・・。やっぱり手術か・・・。でもこの時はまだ全部取る必要がないので簡単なものなんだと考えていた。すぐにMRIの予約を入れる。

 仕事で州外に出かけている夫に連絡をする。

「やっぱりがん細胞があるらしい・・」

「え!?本当か?」

「でも初期だからたいした事ないってお医者さんは言ってるよ。ま、手術したら治るらしいから」

 電話でも詳しく言えないし、彼が帰ってから今度は一緒に病院について来てもらおうと思う。

 

Biopsy 生検

 6月23日(木)

 バイオプシーの日。指示されたように朝食をとり、痛み止めを前もって服用して病院に行く。主要時間は約1時間、自分で車を運転して帰れるという事なので一人で行く。

 部分麻酔で左胸を麻痺させ、ウルトラサウンドで見ながら陰のある所へ針をさし、ティシューの標本を採る。計2カ所。これはVacuum-assisted breast biopsy と言われる方法で、一般的にそれを開発したブランドの名前、 Mammotomeと呼ばれる。
 
 検査の間中看護婦と医者が世間話をしている。その看護婦がシングルマザーである事、彼女にはある有名な野球選手をボーイフレンドとする友人がいる事、そのコネで今夜みんなでカブスのゲームに出かける事など、たったの一時間で彼女のプライベートライフを相当垣間見てしまった。Dr. Leonard 曰く、「彼女の人生は丸見えなのよ」。

 検査は麻酔をしているので痛くはないが、ウルトラサウンドで針が丸見えだし、今何をされているの考えると頭が痛いと感じる。その日はそんなに痛みはなかったがそれからずっと異物感があった。相当深くまで針を刺すのでちょっとした痛みはしばらく残ると医者は言っていた。

 因にこの検査をした所で、本当に癌である確率は10%くらいであると看護婦が言う。統計的には確かでないかもしれないが相当低いと私を励ましたかったのだろう。

 「今日は自分にご褒美をあげなさいね」と医者が言う。外は春のいいお天気。手作りカップケーキのお店に寄って、幾つか買って帰る。

専門医に会う

6月21日(火) 

 乳がんの専門医、Dr. Leonard に初めて会う。私と同年齢くらいの気さくなユダヤ系の女性医師。夫にもついて来てもらった。写真を見るなり彼女は言う。

「そんなに悪いものは写っていないようね。ただ気になる陰が幾つかあるので両胸バイオプシー(生検)をする事になります。死ぬかもしれない?その可能性はこの写真で見る限り全くないですね。」

 それを聞いてどれだけホッとした事か。次にバイオプシーのスケジュールだけして帰る。末期の乳がんかも知れないと本気で思っていたので心の底からホッとした。その為に色々な人に今までの経過を喋ってしまう。慣れない医学用語を知ったかぶりして使うため、Biopsy と言う所、Autopsy (死体検査)といい間違えて、無知がバレる。

Mammogram 乳がん検査


6月15日(水)

 子宮がんの検査に行った際、ちょっとオッパイにしこりがある事を医者に言うと半ば強制的に乳がん検査のアポイントを取らされたのが一ヶ月前。
病院は幾つになっても楽しい所ではないけど、近いからまあいいかと気楽な気分で向かう。10数年ぶりの乳がん検査だ。

 2時間ほど待たされ、昔と同じ原始的なやり方で胸をはさまれる。両方たくさんの写真を撮られた後、技師がどこかに引っ込み戻って来ると更にまた左の写真を撮るという。
「もう少し詳しく調べる必要があるからウルトラサウンドを撮りますね」と、別室に案内され、仰向けに寝かされている所へ新しい技師が来る。

 あちこち調べるその技師の様子が少し変だ。「大丈夫?」とやたら笑顔で繰り返す。これまたたくさんの写真を撮った後、専門の医者が来て説明を受ける。両方、特に左胸に幾つかの陰が写っているので専門医に見てもらう事を勧められる。

 帰り際、「すぐにこの専門医に連絡するように。彼女はもうすぐ休暇を取るって行ってたからすぐ、今日中に電話して下さい。それから、何か不安な事があったらいつでも私に連絡してね。どんなことでもいいから」と言って必要以上の笑顔で見送られる。後で知った事だが、彼女は乳がん患者の為に特別に精神面をサポートする看護婦だった。何だろう、この異常なまでのニコヤカさは・・・。周りの様子があまりにおかしいので不安になる。

 私の具合はそんなに悪いんだろうか。左胸に結構大きなしこりがある事には1年以上前から気がついてた。お金もかかるし面倒なので、何でもないと自分に言い聞かせほったらかしていた。もしかしたらもう末期症状なのかもしれない。帰ってすぐにその専門医、Dr. Leonard に予約を入れる。

専門医に会うまでの約一週間、死に至るほど悪いのかなあと不安な毎日を過ごす。